![中国国旗](https://japan-seabuckthorn-association.org/wp-content/uploads/2020/02/china-01-1024x576.png)
中国4大美人のひとり、王昭君は悲劇の美女として知られています。
彼女はそんな悲劇の中でも、サジーを飲むことで美を保ち続けることができました。
悲劇の美女、王昭君
![](https://japan-seabuckthorn-association.org/wp-content/uploads/2020/02/王昭君.jpg)
中国4大美人のひとりである王昭君は、前漢時代(紀元前1世紀頃)に現在の湖北省で生まれました。
王昭君は悲劇的な美女で知られ、様々な逸話が今なお語り継がれています。
王昭君とサジーのエピソードは、彼女に起こった悲劇の出来事が強く関係しているのです。
度重なる悲劇
![中国宮殿](https://japan-seabuckthorn-association.org/wp-content/uploads/2020/02/宮殿-01.png)
王昭君は、その美しさから若くして漢の後宮に入ることになります。
10代目皇帝の元帝の頃でした。
肖像画での悲劇
西晋の葛洪が書いた「西京雑記」によれば、元帝は画家が描く肖像画を見て、後宮の女性の中から妻を探していたといいます。
そのため、多くの女性たちは画家に賄賂を渡し、美しく描いてもらいました。
しかし、王昭君は不正を嫌い、賄賂を渡さなかったことで醜く描かれてしまったのです。
ここから彼女の人生は狂いだしてしまいました。
政治結婚の悲劇
漢とたびたび軍事衝突をしていた匈奴という民族がいます。
漢王朝はこうした異民族対策として、宮廷の女性を、匈奴の君主に妻として差し出していました。
つまり、異民族が敵対心を起こさないようにするための緩和政策です。
この政策の被害者になってしまったのが王昭君でした。
元帝は、匈奴に差し出す女性を肖像画によって選んでいます。
そのため、王昭君は醜く描かれた肖像画によって、匈奴に差し出されることになったのです。
元帝は、いざ王昭君を見ると、あまりの美しさにひどく後悔しました。
王昭君を醜く描いた画家を処刑したことからも、その気持ちを察することができます。
元帝は泣く泣く引き渡し、王昭君は遠く離れた異国で嫁ぐことになりました。
王昭君を支えたサジー
![サジー](https://japan-seabuckthorn-association.org/wp-content/uploads/2020/02/sea-buckthorn-3730225_1920-e1581497781306-1024x576.jpg)
王昭君が嫁いだ先は、 後宮から距離にして1500キロ。
現在の内モンゴルにあたります。
![内モンゴル](https://japan-seabuckthorn-association.org/wp-content/uploads/2019/10/desert002.jpg)
内モンゴルは砂漠地帯で、寒暖差も激しく、決して肌にやさしい環境とは言えません。
ましてや、望んでいない結婚に、衣食住すべてが異なる環境。
そんな厳しい環境の中でも、王昭君は美を保ち続けたのです。
サジーは美と生命力の源
![サジー](https://japan-seabuckthorn-association.org/wp-content/uploads/2019/12/buckthorn-87846-e1582848569888.jpg)
その美の秘訣は、サジーという内モンゴル名産のフルーツ。
夫が美容のために、王昭君に大量に与えたのだといいます。
サジーの果実から抽出した果汁を飲み、さらに顔を果汁で洗うなど、サジーの恩恵を最大限に得た王昭君。
以来、美しさとたくましさに磨きをかけ、サジーを長く愛用したといいます。
最後まで守り続けた平和
王昭君は、嫁いでからも数々の困難にさらされることになります。
・夫の死
・屈辱的な義理の息子との結婚
・祖国への帰国を拒絶される
・実子を殺害される(諸説あり)
このような想像をはるかに超えるような困難でも、平和のために彼女は立ち向かい続けました。
これこそが彼女が今なお、多くの人から愛されている理由です。
遠い異国へ自己犠牲の精神で、民族平和のために尽くした功績は大きく、内モンゴルでは慰霊碑も建てられています。
孤独ながらも強く生き抜いた王昭君。
「民族団結の象徴」とまで評される王昭君にとって、 サジーのもたらすパワーは大きな支えだったに違いありません。